2018年の夏にジョージさんやおそのさんらと共に訪れ、紡績場に入るなり号泣してしまった松井機業さんがある土地。
2019年の夏はじょうはな座にて日本民藝夏期学校があり、これを目がけて永澤は南砺入りしました。
民藝というものを改めて知ることができたと共に、民藝という文化が根付き今でも芳醇に育っている南砺の素晴らしさに改めて度肝を抜かれることに。
松井機業さんは一昨年、おそのさんの「お蚕さま」の歌が生まれた場所です。
蚕の話を丁寧に教えてくださる紀子さんの話は、虫、動物、生き物たちと人間とのあり方を考えさせてくれるとても貴重なものとして私の中に入ってきました。
また、この土地に古くからある絹の一種でシケ絹というものがあります。
「この土地のおカイコ様は、二頭で一つの繭を作られる割合が他の土地よりも高いらしく、
そうして作られた繭は、玉繭と呼ばれるらしいです。そして玉繭からとれる糸には、節があるそうです。
松井さんは、これを『愛の結晶』と呼んでらっしゃり、その糸が紡がれる様は、まるで流れ星が飛ぶようと仰っていました。」(昨年南砺市に旅した際の記事より)
こうして作られる、シケ絹は、壁紙やふすまに用いられているようで、建築関係の方は是非とも注目して欲しい素材です。
その他にも、絹の可能性は無限大で、その可能性を現代の市場の中で模索されている紀子さんらの姿はとても眩しいものがあります。
写真は永澤が今回の滞在中、松井機業さんの布を草木染めで染め上げたものです。
大福寺の住職である太田住職が夏期民藝学校で仰っていた、「土徳」ということばが忘れられず、大福寺にお邪魔しました。
食も心も時間も豊かなものがものが流れていた南砺。
南砺の人々は本当に大切なものをしっかりと手の中に握っているように思う。
この豊かさは太田住職が仰っていた南砺の「土徳」のなせるものなのかもしれない。
土徳とは民藝の本質であり、自分を通して現れるもの。
背後の力。根本。
風土や歴史の背後にあるもの。
土徳とは天地。
天地が意味のあるものとなるとき人間が必要である。
意味を感じる人が必要。
表すものと感じるもの、という関係性が成り立っている。
作品を作るものと観るものは背後の力を通じて感じあっている。
太田住職は現代の土徳は飲み屋で育まれているかもしれないとも仰っていた。
そいういう意味で、ハモニカ横丁などの飲み屋の文化が盛んな吉祥寺から学ぶことは大きいと。
南砺の縄ヶ池と吉祥寺の井の頭公園には龍神と女神という同じ内容の神話が残っているという。
水を通じて、根底は繋がっている。人間と人間が交流して、お互いの面白いところを引き出しあう。
南砺のことを深いところで知り合えたような瞬間でした。